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商品説明
商品名 潮流変体かな書き手:中村北潮さん小倉百人一首 板かるた取札黒 百枚揃い二重の共箱で守られています。
商品特長 北海道生まれの北潮さん、15歳で仏門入り、その後に変体かなの書き手として板かるたの制作に奔走し70有余年間、書き続けられてきました。
◎最期は大阪の地で後継者のいない変体かなの板かるたを残したいとの思いで、漆塗りのものを共同で制作したものです。
北潮さんの作品は地元の北海道開拓記念館や近江神宮にも寄進されてます。
粘り気のある漆での筆書きは難しく、シルクスクリーンで金字に書きあげました。
(黒漆塗りの箇所は越前塗りで仕上げています。
) 品質 素材−天然木 表面塗装−天然漆 札のサイズ 約5cm × 7.5cmこの黒漆の作品は、数点の製作のみで、その内の一点・・・越前ぬりで仕上げています。
潮流変体かな書き手:中村北潮さん ■小倉百人一首 板かるた取札黒 百枚揃い ■札のサイズ:約5cm × 7.5cm (黒漆塗りの箇所は越前塗りで仕上げています。
) 北潮流 板かるたのこと 板かるた 北海道で「下の句かるた」と呼ばれるもので、明治維新後、主に会津藩の屯田兵の人々が北海道へ入植したことにより、道内に普及したものと考えられています。
特 徴 取り札はホオノキなどの木製で、独特な書体の「変体仮名」で下の句が書かれており、「板かるた」と呼ばれています。
中村北潮=書家 北海道函館市出身で、明治42年(1909年)2月1日、回船問屋に生まれ、3歳でお寺に預けられました。
厳しい修行の中で写経を手習いのはじまりとなり、書の道を究めることになります。
13歳のときにはすでに「北潮」と号して、書道塾「北潮舎」を開き、大勢の門下生を育てるようになりました。
北潮さんが「板かるた」に出会い、その魅力に強くひかれ、自ら一枚一枚の「板かるた」を書くようになったのです。
潮流の家元となった北潮氏ですが、大阪府八尾市にほど近い大阪市内で晩年を過ごしました。
最期まで書家としての本分を外れることなく70有余年の現役を全うされ、平成6年(1994年)11月1日に85歳でお亡くなりになりました。
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